突然ですが、24歳で私は会社員を辞めることになりました。
今回は新卒で入った会社を2年で退職し起業する道を選ぶことに繋がった「気付き」について書いていきます。
「起業をしたい!」「会社で出世したい!」
そんな想いを持った同世代の方に「私の気付き」を是非読んでいただきたいです。
描いた通りの社会人生活
話は就職活動から始まります。
30歳までには起業をしたいと考えていた私は、
就職活動の際も給料ではなく、経験値が積めるところに!と意気込んでいました。
特に以下企画、営業、海外の3つの経験を求めていました。
簡単に言えば、
自分でアイデアを出して売り込みにいきたいし、海外にもいきたい!
これだけのことです。
また、こんなに時代の流れが早い中で数年後に何をやるかを絞るのは良くない。
商社にいれば商売の川上から川下まで携われるから
そこからビジネスチャンスを見つけようと考えていました。
そこで選んだのが繊維商社でした。
繊維商社に入れば、アパレル製品の企画、生産、提案もできるし工場も海外に多いですからね。
実際入社後には、2年目ながら現場に1人で企画、提案にも行き望み通りの社会人ライフでした。
コロナの影響で海外に行くことはできませんでしたが、これはどの会社に入社しても同じでしたので仕方がないことです。
そんな私が当初の30歳よりも早く退社したんです。
Non Skill Person
入社して1年半経った頃に話は変わります。
1年半くらい会社にいれば、自分が30歳の時にどんな人間になるのかが何となく見えてきます。
そこで見えた自分は、スキルの持たないNonSkillPersonでした。
商社とは、つなぎ合わせることが仕事だと思っています。
つまり、AさんとBさんを仲介したり、Cという技術をDという人に提供することです。
仲介力が鍵となる仕事で、
この間に入る商社自体には、技術力があまりなかったりします。
会社を立ち上げる際に、
資本力かスキルのどちらかを自分で用意したいとは考えていましたが、
就職する際に前者は捨てています。
そこでやっと、
あれ?起業できなくない?
と気づきました(就活の時気付け笑)
仲介業に徹して、スキルの持つ人を雇うというのも1つの方法ですが、
人を雇うにもお金が必要で、30歳までの自分にそれは難しいと考えていました。
また、金融機関や日本政策金融公庫からお金を借りるという手もありますが、
未経験分野への挑戦ではなかなかお金を出してくれません。
日本では衰退産業と化した繊維業界でお金を稼げるとは思えなかったのと、
そもそもこの業界でやりたいと思える事業はなかったので
お金を借りるこの作戦はボツでした。
プログラミング面白そう!
スキルのない私は元々興味のあったプログラミングを勉強する決心をしました。
そこで、一番面白そうなpytyonというAIや自動化に優れたプログラミング言語を選びました。
3ヶ月で50万円の講座を購入しました。
難しいんですけどこれがすごく面白くてワクワクしました。
(ちなみにその講座はこちらです)
↓↓↓
そもそも世の中こんなに進化してるの!?と純度100%文系育ちの私は学びながら驚き続ける日々です。
しかしここで壁にぶつかります。
自己投資できない働き方
私は6:30に家を出て、21:30に帰宅。
忙しいと寝るまで仕事。
こんな生活を送っていました。
スキルを身につけたいという気持ちはありますが、時間を作るのが本当に難しかったんです。
朝は5時から1時間、電車の中で往復1時間、寝る前30分くらいの時間確保が限界でした。
そもそも自分よりも優れているプログラマーが、
仕事として1日中もコードを書いているのに、初心者の自分が毎日2時間半の勉強でいいわけないですよね、、、
ちょうどこの頃に、プログラムを組んでサービスを作っていきたいと決めていたので
これは将来やるつもりもない業界で働いている場合じゃないなと感じたんです。
サラリーマンはやりたくない
将来の自分の事業について考えれば考えるほど、サラリーマンをやりたくなくなっていきました。
エンジニアは初めにどこかの会社に所属し、修行したほうがいいと思っています。
しかし、転職すれば、2〜3年はその会社にいることになると考えました。
今回は理由は控えますが、すでに私にそんな時間の余裕はなかったんです。
「1年間エンジニア、起業家として修行できる場所なんてないよなー」
そんなことを考える私の前にとある動画が流れてきたんです!!
思ったより長くなってしまったので、ここまでを前編と区切ります!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
後編では起業家を応援するfwywdというプロジェクトの出会いについて書いていきます。
勉強の合間を見て書いていくので少々お待ちください!